2008年12月21日日曜日

どしゃぶりの雨。
すえひろ荘からは女将さんに記念館近くまで送って頂いた。
春であれば、桜が綺麗であろう階段を上り、回天記念館へ。

島に似つかわしくない立派な施設に入ると、
受付の方が、優しく声を掛けて下さった。
どうやら荷物を預かって下さるみたいだ。

言葉に甘え、ゆっくりと館内を回る。
戦争は、忘れてはならないことだとわかってはいるが、、忘れたくなるような展示物もあった。
心に蓋をして、何も感じないように、ただ文字として、絵として理解した。

記念館を後にした。
受付の方がカッパの代わりに大きなゴミ袋をくれた。嬉しかった。
帰り道。休憩所に立ち寄った。
何も言わずに老女がお茶を出してくれた。美味しかった。

気さくな老人が、話しかけてくれた。
幕末の話、東郷平八郎の話、レイテ海戦、ハンドボールの話、そして昔の仲間の話。
色々な話を、楽しそうに話してくれた。

気が付けば、船の時間はとっくに過ぎていた。
雨が止み、港に向った。

咲いた桜を見ながら茶を飲みたい。そう思いながら島を後にし、さらに東へと向かった 。

2008年12月20日土曜日

野島@瀬戸内最西端

我慢の限界。

車にチャリと寝袋を搭載し出撃。方位『東』
山陽道を1時間。三田尻港(山口県防府市)に到着。

三田尻には全女バレーのエース栗原恵を輩出した三田尻女子高があるらしい(道を尋ねたおじさん談)

燃える島魂

片道750円の運賃(生活航路にしては高い気が…)を支払い、
イケメン高速船『ニューのしま』に乗船。

上陸地はそのまんま『野島(のしま)』


瀬戸内海国立公園の最西に位置する野島は鳶の鳴き声が響く漁業の島。
夏場は海水浴やキャンプで賑わうこの島も、この時期は釣り客とお墓参りの訪問者だけ。


何が釣れるのやら?と釣人の様子を伺いながら海を覗くとスズメダイの大群…『釣れてますか?』と質問するのをやめて静かに堤防を離れた。


※スズメダイ=一般的に餌とり・ザコなどと言われ釣人の敵。途中で二つに別れる尾ビレが特徴。福岡の郷土料理『あぶってかも』はスズメダイを焼いたもの。


注.帰りの船で良型のアジとカレイを釣りあげた方に会いました。

帰る間際、島の特産品でも…と思い商店に立ち寄ったのに店主不在で断念。
開けっ放しはどこの島も同じかと妙に納得し島を後にした。

すえひろ荘@大津島

暗闇の徳山港、その日最後の渡船に飛び乗った。

大島に、港が複数あるらしい。
慌てて、民宿の女将さんに確認。
言われるがままに、船を降りた。

聞こえるのは、冷たい霧雨と波の音だけ。
名前を呼ぶ声が聞こえた。

すえひろ荘の女将さんだった。
港から5分くらいで宿に着いた。

宿に入ると、古いストーブ。
以前、ご夫婦で石を切り出す仕事をしてたらしくお風呂は大理石。
部屋には、旅人が想い出を書き記したノートがあった。

食事は、地元の食材を使ったボリュームタップリの海の幸。
一部の食材は、徳山まで買い出しに行ってくれたみたいだ。

明日は雨か。大理石の風呂に、腹いっぱいの海の幸。
少し大きめの波の音を聞きながら今日は眠るとしよう。

2008年12月10日水曜日

回天の島 大津島

着いたのは日没後だった。二件ある民宿のうち安い方を直前に予約した。

寒い時期の日没後。何しに来たのと聞かれたので、
胸をはって『島マニア』です。と答えると、女将はキョトン顔になった。

船着き場(港がいくつかある)から左手に5分ほどだっただろうか。
港には民宿の女将さんが迎えに来てくれていた。

当日は、たくさんの海の幸と、御影石の風呂を満喫し、波の音を聞きながら眠りについた。

$旅りーまんブログ-Course Up--宿@大津島

名前を忘れた宿。一泊5500円/一人個室

翌朝、天気はあいにくの雨。
外に出ると、瀬戸内らしい小さな堤防とそのつけねに小さな浜があった。

宿と浜と堤防の位置関係が魅力的である。
来る季節を間違えた。

雨が小降りになった。
女将が回天記念館近くの港まで送ってくれた。

記念館は、港そばの高台にある。
春であれば、桜が綺麗であろう幅の広めの階段を登る。

回天記念館を見学。
受付の方、びしょ濡れ姿を見て、カッパ代わりのゴミ袋をくれた。

帰り道。中腹にある休憩所によると、老女がお茶を出してくれた。

お爺さんが『灯油がぁ#$%&!』とつぶやきながら、前に座った。
どこから来たのか?一人か?と、一通りの質問を受けた後、昔の話を始めた。

昔、海軍にいた話。
歴史に出てくる有名な指揮官に帯同した話。
さらにその指揮官が若い頃に仕えた話。
なぜかスポーツの話。
回天記念館の話。

話が3周目に入った時、船に乗り遅れたことに気付いた。

2008年9月24日水曜日

涼風

鹿児島からフェリーで11時間。奄美大島に到着。
名瀬港(奄美)に着いたのは朝の5時船。
宿のスタッフが迎えに来るまで真っ暗な港に一人立ち尽くしていた。

奄美大島は名前の通り大きな島。沖縄本島、佐渡島に次いで日本で三番目に広い島。気合いを入れても1日での島一周は無理そうだったので、3日間滞在した。

奄美には特有の要り組んだ海岸線によって数多くの美しい風景が存在。海の青さは奄美独特のものだと感じた。

奄美伝統の『鶏飯(けいはん)』
ご飯に具材を乗せ鶏のスープをかけて食べるシンプル(調理には意外と手間がかかるらしい)なものですがあっさり系の鶏のスープは二日酔いの胃腸に優しく響きますほっとした

その後…

色々と行きたいとこもあったのですが涼風のスタッフ、旅人、島人が入り交じり壮絶な飲み会モードに突入。結局呑みっぱなしで終わり 。

朝まで酒宴だったが、何とか船に乗ることができた。『黒糖焼酎』ヤバス。

2008年9月18日木曜日

のろのろ台風

北九州から高速バスを乗り継ぎ6時間。鹿児島市に着いて5日間。

予定では、鹿児島観光を終えた後、未開拓の島を散策する予定だったのだが、台風13号の影響で未だに鹿児島を発てずにいる。

天気予報と雨空を見ながら煙草をふかす日が続いている。

リトルアジアで教えて貰った西田屋食堂。
昭和を思わせる店内。一言で言うと『ばあちゃんち』
肉うどん320円(ご飯、やっこ、卵、漬物付き)

毎日、通ってるぞ------w

明治維新の立役者『大久保利通』の像を
通り過ぎた所で雨が強くなったので『維新ふるさと館』に入館。
『君が代・薩摩琵琶の名曲から歌詞を出典』コーナーは興味深いものだった。

(以下、説明パクリ)
明治2年に英国軍隊長のフェントンから「日本に国歌はないのか?歌詞があれば作曲しよう」と問いかけられた大山巌らが薩摩琵琶曲の一つ『蓬莱山』の一節を歌詞に選びフェントンに渡しました。翌3年に明治天皇の御膳で薩摩藩軍楽隊によって初演されたのですが歌詞と洋風メロディーとの違和感が各所から指摘され、明治13年楽曲を改定。現在の国歌『君が代』になりました。

2008年6月19日木曜日

パナリ

八重山離島巡りを始めて約7年。旅の最終目的地パナリ(新城島)に上陸。

島には、観光施設は勿論、金融機関、郵便局も無い。
あるのは森と無人の家。

集落には30戸ほどの家屋が存在するが、実際に住んでいるのは5、6名。
宿泊当日は観光客を含み10名程度の滞在であった。

集落の外には御嶽(聖域)や神社が点在しているがそのほとんどが立ち入り禁止となっている。(独特の空気を感じたので近寄る気にならなかった)

島では唯一の民宿にお世話になった。
民宿があることすら驚きであった。

ただしここは離島…

蚊、蠅、蛾、蟻、ゴキ、ヤモリ、ねずみ、猫 との共存は必須だ。

日帰りツアーの観光客が島を離れ日が暮れると島の雰囲気は大きく変わる。

静寂の中ヤドカリの足音、ヤモリの鳴き声が響く。

情報や携帯は一切無い。こんな静かな島は久しぶり。

八重山巡り…完?

(浜島、バラス、カヤマ、下地行ってないやんww)

2008年6月17日火曜日

山原

6月14日 07:30 北九州空港発
6月14日 10:00 那覇空港着

しぃーぶんで昼食。
タコライスと沖縄そばを食べて店を後にした。

「珊瑚のお守り」を忘れていたことに気付く。

6月14日 17:00 石垣空港着
ケイコさんと前回の旅で知り合ったマーチが迎えに来た。

やらぶ食堂でオリジナルメニュー「塩豚(スーチカ)サラダ」を注文した。
久々の島酒で友との再会を祝した。

6月15日
【天候】曇り時々猛烈な雨

風景は望めないので山原で潜ることにした。

ここのポイントは魚の種類と珊瑚の種類が豊富。
懸念される珊瑚の白化現象も起こってない。何より人がいなくて静かなのがいい。
例年よりも海水温が高かったので長めの素潜りを楽しんだ。

水から上がりバッグを探すが見当たらない。
少し離れたところの水深3mあたりに行方不明のバッグを発見した。
すぐに拾い上げて、水気を拭いたが手遅れであった。

6/16日
与那国のおじいの宿で同宿だった女子が竹富島でヘルパーをしているらしく会いに行った。彼女のヘルパー仲間に共通の知人「めぐちゃん」がいることが判明。1年ぶりの再会を果たす。

つづく…

2008年3月17日月曜日

しげこ

奇跡の3連快晴。



気温も30℃近くまで上がり初夏のよう。

宮古島の良い景観はそのまま観光地化されているように思う。管理もそこそこ行き届いてて観光がしやすい。
高い山やアンバランスな人工建造物が少ない。印象に残ったのは食べ物は雪塩工場の『雪塩ソフト』。 
店頭に備え付けの『塩唐辛子』や『柚子塩』などをフリカケのように振って食べる。
ちなみに塩ちんすこうは宮古のが一番美味しい。

宿は前回の旅の際にナンパされた

おばぁ(シゲ子)の家。 

収容人員3名の只の家。

宮古最後の夜
明日の出港は早朝6時…起きれるか?寝れるか不安w

朝までオトーリ。

2008年3月15日土曜日

しぃーぶん

Tシャツ、短パン、サンダルで過ごす那覇は寒かった。

宿は、美栄橋の月光荘。

ドミ1日目は、何となく距離感が掴みずらかった。


ぶらっと宿を出たら、すぐそこに「しぃーぶん」はあって、昼間からお店が開いていて、

明るい年上のお姉さんがいた。


沖縄そばといなり二個を注文した。


隣におじさんが座った。

タンカンとフーチバの炒め物、それからイカのするめを貰った。


しばらくして会計をお願いした。

たったの500円だった。

さて、有村フェリーの港を探すとスルメ。