2016年12月24日土曜日

松倉重政 島原城 日本百名城

有馬氏の転封に伴い、入封した松倉重政が1624年に築城した城。
この場所に、こんな立派な石垣が必要だったのか。

が、最初の印象。


1615年に、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡し、いよいよ徳川に敵なしの時代にだ。



二の丸側から入城

畑となった堀

こちらはゲートボール場

正面入口

正面入り口の鏡石

滑りたくなる坂

立派な天守閣。破風なし。

仮想敵国

今は、島原の乱を誘引したとも言われてる松倉重政だが、奈良五條における評価は高い。
城づくりが得意だった彼が、大名になって少しはりきってしまったとの説が大勢のようだ。

現代人は、徳川の世は300年続いたことを知っているので、大げさな城と思うことができるが、関ケ原、大阪の陣と大戦が終わった直後なので、当時の領主が、次の戦があると思っていたかもしれない。

さらに、旧領主の配下や浪人がいて、スペインやポルトガルが攻めてくることもあり得る、キリシタンの逆襲も考えられた。少しでも大きな城が欲しいと思うのもわからなくもない。

結果、島原城を攻めた旧領主の配下や浪人とキリシタンの一揆軍を撃退したので、城は役に立っている。

最上階からの眺め

この城には、武具やキリシタン関連の展示品が数多く展示してある。

再訪する機会があれば、妻子には雲仙温泉で留守番をしてもらい、じっくりのんびり鑑賞したいものである。

原城 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

かねてより、島原城に行くのであれば、原城にもと思っていた。
日野江城から車ですぐのところに原城はあった。

通りから左に曲がったところ。
国史跡指定昭和13年5月30日文部省と書いてある。

三の丸、二の丸を左に見ながら本丸跡に到着。
ここは風の通り道のようで、当日は清々しい風が吹いていた。

非戦闘員が隠れていたという空濠。

大手門付近

島原の乱の後、城は破壊された。

埋門跡

南側の土手

土手か見える石群。
配列には何か意味があるのだろうか。


手前が二の丸、左奥が三の丸。奥の山は雲仙。

1612年岡本大八事件で、キリシタン大名の有馬晴信が斬首される。
有馬氏が転封となり、松倉重政が島原藩を治めることになる。

松倉重正は、江戸城の改築や島原城の新築のため年貢の取り立てを強め、
また、キリシタンの弾圧もおこなった。

島原の乱は、キリシタンのみによる反乱ではなく、実際は有馬、小西に仕えた浪人や土着の領主も戦闘に加わっており、宗教戦争とは違う一面もあったことを今回の訪問で知った。

池尻口門跡

時の止まったように静かな場所。独特の空気を感じる。

たんぽぽ

痛ましき 原の古城に来て見れば
ひともと咲けり 白百合の花
新村 出

日野江城 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

雲仙温泉から山を下り、ドライブインのある展望所で地図を眺めていたら、
原城の近くに、別の城があることに気づいた。

と、いうことで寄り道することにした。

雲仙温泉から山を下り、海沿いの道を南下すること約40分。
標識が見えたのでここを右折。


しばらく進むと、セミナリヨ跡の碑があった。

晴信が洗礼を受けた1580年頃から1612年の岡本大八事件まで、
セミナリヨが存在した。

ちなみに、セミナリヨはセミナーやゼミナールと同意語である。



さらに進むと看板。生活道路なのだろうか。言う通りに迂回。


ぐるっと回る。方向的にこれが日野江城跡。


城主は有馬晴純(ありまはるずみ)1483年生~1566年没
南蛮貿易を独占して、1550年頃に有馬氏の最盛期を創出した。

当時の日本年表は以下のとおり
1467年 応仁の乱
1485年 山城の国一揆
1549年 キリスト教伝来
1566年 中濃攻略戦(織田信長と斉藤竜興の争い)

晴純はキリスト教を弾圧したとも、子の義貞に洗礼を勧めたとも言われている。

子の義貞の時代になると、大友家や龍造寺家との争いや家臣の造反により領地が縮小。
義貞は1576年にキリシタンの洗礼を受けた。弟は大村純忠。

1580年に子の晴信も洗礼を受け、豊富秀吉の禁教令の後もキリシタンを保護した。
1612年岡本大八事件で、改易、追放された後、領地で急激なキリスト教の弾圧が始まり、
それが島原の乱に繋がったとも言われている。

有馬家は、日向延岡藩に移ったあと、越後藩主、越前藩主として明治維新を迎えた。

この後、地図にある駐車場に向かったのだが、道に迷ってしまい、西田平キリシタン墓碑に出てしまった。

この時点で時間切れ、マップを手にリベンジしたい。
日野江城の周辺散策マップ等

島鉄バス 雲仙温泉駅

雲仙温泉駅にて撮影




島鉄グッズ売ってます


雲仙温泉 源泉他 雲仙湯元ホテル泊

前夜は、雲仙湯元ホテルに宿泊し、白濁硫黄泉を満喫した。
色、匂い、肌触りの総合力で、泉質は国内最高クラスではないだろうか。

さらに、このホテルには300年の歴史がある。ホテルのロビーに年表があるのだが、なかなか興味深かった。

チェックアウト後、源泉のある地獄温泉に散歩に出かけた。

まさに湯気

泉質は酸性硫黄泉。色は透明又は白

ボコボコ

猫も寝こむ

大叫喚地獄の下から

湯せんべいの店


島原港から車で約30分。

2016年12月23日金曜日

フェリーくまもと 九商フェリー

熊本港を出港後のオーシャンアローのデッキから撮影

航路 熊本港~島原港(60分)


超高速カーフェリー オーシャンアロー 熊本フェリー 


航路 熊本港~島原港
船名:オーシャンアロー
船種:SSTH(Super Slender Twin Hull:超細長双胴船)
全長:72.09mメートル
総トン数:1687トン
航海速力:30ノット(時速56キロ)
車両搭載:乗用車51台又は大型バス9台
旅客定員:430人
その他:IHIが建造、MTU社製高速エンジン搭載


熊本港


乗船

ウェルカムステップ(階段)とスーパーシート(奥)

クリスマス仕様
ファンネル

餌やり

エンブレム

熊本フェリーHP

熊本城 今できること 日本百名城

熊本市内へ行くには、熊本ICなのか植木ICなのか。
迷いの中、自宅を出発した。

11:00 植木ICからR3へ
安い方を選んだ。

11:30 桜の馬場城彩苑着(駐車場は2時間200円、以降1時間100円)

湧々座に復興城主受付所はあった。10分程度で手続きは終わった。

少し勘違いしていたが、この寄付は寄付金控除の対象ではあるが、ふるさと納税とが違うので、ワンストップ特例制度の適用はないらしい。

つまり、控除のためには、確定申告が必要ということ。

ちなみに、百名城スタンプは同じ敷地内の総合観光案内のカウンターに移動していた。

昼食後の12時45分。西から城巡り開始。

未申櫓(ひつじさるやぐら)

二の丸駐車場側

二の丸広場から

拡大

右端が戌亥櫓、奥に加藤神社と天守閣が見える


一時、話題になった隅石。写真左側。

加藤神社から

拡大


加藤神社境内

観音様のお顔

北東部

排水溝の跡だろうか

復興城主の申し込み方法
http://wakuwaku-kumamoto.com/castle/fukkou