美崎町のゲラゲラを出発し、離島ターミナルへ。「ヤエカン」で往復乗船券をGET。
波高2.5m波跳ねる高速船で上原港へ向かう。この衝撃が懐かしい。
初めての八重山一人旅(2005年)以来の上原港。
ターミナル以外はあまり変わってない気がした。
急遽、手配した宿の玄関に着いたが人の気配が無い。
どこの離島もこんなもん…と思いながら庭先の蝶々(タテハモドキ)と戯れる。
ふと電柱を見上げると天然記念物のカンムリワシ!?こんな離島は他にない。
しばらくすると宿主が登場。開口一番『カヤックやってみる?』と…
何となく予想してたこともあり『はい』と即答。初のカヤック体験へ。
浅瀬から川の中心へと漕ぎ進む。何となく景色が大きく見える。
漕ぐのに必死で写真を撮る余裕がなかった。
脇の小さな川に入り、静寂の空間へ…
漕ぐのを止めると、鳥の鳴き声…
フギャー!!!フギャー!!!
ヒィィィィ!!!ヒィィィィ!!!
ウゲェー!!!ウゲェー!!!
ヒヨドリの鳴き声…決して癒しではないと思うのはオレだけか?w
前から修学旅行の女子高生が十数名。
元気の良い『こんにちわ』がこだまする。
勿論、最高のスマイルで全員に応えた。
かなり癒された。
良い印象で初のカヤック体験を終え(?)、翌日に備え、野菜サラダをもりもり食べて眠りについた眠い(睡眠)
翌朝…嫌な予感で目が覚める…
風がヒューヒュー
雨がバチバチ
波がゴーゴー
まさか…またか…
雨+突風+高波w
暗い一人部屋での引きこもり確定w
初めてのイリオモテ上陸の際も、バケツをひっくり返したような雨だった。
鳩間島から上原港に脱出後、行くあても無く、川満スーパーで立ち尽くした。
寒さと空腹に耐えかねて、入った「そば屋」で、野菜ソーキそばをすすった。
心の底から美味いと思った。※後にそこが新八食堂であることを知る。
生まれたての子羊のようにブルブル震えるびしょ濡れの小僧に同情したのか、
店のねえねえが大原港まで送ってくれた。本当にありがたかった。
その後、石垣の拠点となる伝説の宿に飛び込み、島巡りに没頭し、今に至る。
雨脚の弱まった昼過ぎに新八食堂に行き、野菜ソーキそばを食べた。
少し味の濃いめの普通のソバだった。
翌日、晴れ間が覗く空の下、大原港からイリオモテを離れた。
帰りの船の中で誰かが言ってた言葉を思い出した。
『止まない雨はない。晴れない空はない。』
2010年3月22日月曜日
2010年3月8日月曜日
ヌスクマーペ@石垣島
例年、梅雨明け後の空と海を求めて6月に渡島した。到着時の気温は28℃。
石垣到着後は「やらぶ食堂」で体を慣らし、涼しくなってから美崎町へ出陣した。
翌日は、石垣島北部の野底岳へ。島ではヌスクマーペと呼ばれる。
悲しい恋の伝説のある山だ。
OTSでコガネムシ色のレンタカーを借りて、399号を通って登山口へ向かった。
登山口は分かりづらかったが見つかった。
人一人が、ようやく通れる道を進む。鋭利な草が腕と足首にあたって痛い。
半袖半ズボンで来たのは失敗だった。
少し進むと、草のエリアから木のエリアに到着。少し歩き易くなる。
視線の先にはジャノメ蝶のカップルがヒラヒラ舞う。
足場は赤い土。「雨が降るとやっかい」と思いながら地元山岳会が設置してくれたロープを辿り頂上へ向かった。
強風と鳥の鳴き声を感じることができた。
雨が降り出した。赤土はつるつる。お約束通りのすってんころりん。
石垣到着後は「やらぶ食堂」で体を慣らし、涼しくなってから美崎町へ出陣した。
翌日は、石垣島北部の野底岳へ。島ではヌスクマーペと呼ばれる。
悲しい恋の伝説のある山だ。
OTSでコガネムシ色のレンタカーを借りて、399号を通って登山口へ向かった。
登山口は分かりづらかったが見つかった。
人一人が、ようやく通れる道を進む。鋭利な草が腕と足首にあたって痛い。
半袖半ズボンで来たのは失敗だった。
少し進むと、草のエリアから木のエリアに到着。少し歩き易くなる。
視線の先にはジャノメ蝶のカップルがヒラヒラ舞う。
足場は赤い土。「雨が降るとやっかい」と思いながら地元山岳会が設置してくれたロープを辿り頂上へ向かった。
強風と鳥の鳴き声を感じることができた。
雨が降り出した。赤土はつるつる。お約束通りのすってんころりん。
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