2012年12月24日月曜日

桜島とトナカイ 鹿児島市内

モンベルに用事があって鹿児島に来てます。
久々の桜島。空が青くてきれい。


鹿児島は、大陸に近いせいか、関東よりも気温が低いです。
この日も0℃~2℃とか。

トナカイも骨だけに。

2012年12月1日土曜日

魚がし日本一 品川駅構内

江戸城からの帰り道。
小腹を満たすために立ち寄った立ち食い寿司屋。
次から次に客が入る。そして出ていく。


まるで、皿を回す時代は終わり、人を回す時代が来たかのうようだ。

たこ、こはだ、炙りシメサバ、ブリその他。二人で1000円ちょい。
やや小さめだが味はいい。しゃりもうまい。コスパは上々。接客も良い。

ただし、注意の必要なルールが一つある。

「一注文、二種類×二貫から」

つまりは、4種類で計8貫ってこと。

一人で、多くの種類を食べたい時は、お腹を空かして、お金を多めに握って行きましょうね。



江戸城 日本百名城

急に東京に行くことになり、「もしかしたらチャンスがあるかも」と、お城スタンプ帳を持って飛行機に乗った次第。

東京駅着。
多くの人がスマホを天にかざしていたので同調。

今までの経験上、お城の最寄り駅まで行けば、看板やパンフレットがあったりするのだが、ここは勝手が違うようだ。お城に関する情報は何もない。

スタンプ帳によれば、東京駅から徒歩5分とある。駅を出た。

小雨の中、人の流れについていく。

看板発見。「特別史跡 江戸城跡」 本丸はどこなのか。

少し、城っぽくなってきた。

皇居の橋。

皇居の玄関。

この後、和田倉休憩所で百名城スタンプを押して、何だか不完全燃焼な感じでタイムアップを迎えた。

モヤモヤしたまま帰宅し、調べてみると出るわ出るわ情報が。
宮内庁HPに「皇居一般参観申込要領」とやらがあり、この要領通りに申し込みをしていれば、中が見れたらしい。


お恥ずかしい話、江戸城と皇居の関係についてなーんにも知りませんでした。
事前に調べることは大事ってことですね。

何はともあれスタンプはゲット。おいっちにーさんしー。



2012年11月19日月曜日

サウナニュージャパンEX 広島

冬場の旅は、血行に悪い。
宿は迷わずカプセルに決めた。

まだ安価なビジホが少ない時代、野宿を卒業した後は、カプセルから宿探しを始めたものだ。

カプセルを一言で現すと、蜂の巣みたいな感じ。
幼虫が、一晩カプセルに入り、翌朝、飛び立って行くみたいな。

一般のビジホと違うとこは、

・風呂がいい。サウナがある。
・食べ物は割と安い。自販機は高い。
・朝、10分毎に他人の目覚ましが聞こえる。(遅刻しない)
・時々、いびきがうるさい。
・大人のチャンネル無料。
・することが無いのでよく寝れる。
・料金追加で、アカスリやマッサージもできる。
(ちなみに、ニュージャパンでは岩盤浴が無料で利用できた)
・だいたい繁華街に近い。

翌朝、体はすっきり。目覚めもすっきり。

安価な、ビジネスホテルを探しやすい時代となったが、
ファンとしては、カプセル業界の灯が消えないことを切に願う。

EXの意味は何だろうか。



可部線 JR西日本

吉田郡山城の帰りのバスを途中下車。
可部線コンプリートを目指す。

可部駅。

電池切れ。手抜き写真。

駅の待合室で、寿司サンドは郷土料理?と、数人の奥様方と小話をしました。
去り際に、奥様の一人が「声を掛けてくれてありがとう。」と仰ってくださりました。

大変寒い日でしたが、心温まる時間となりました。
こちらこそありがとうございました。

無事、広島駅着。

百万一心 マンホ

「一日一 力一心」「国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得る」


ナイスマンホ。

日本百名城 吉田郡山城 広島県

二十三城目。標高389メートル。

山全体が要塞の郡山。
片道1時間30分のバスには、二度は乗りたくないと、登城を決意。

13:40 登城開始。

酉谷地点石垣。石が新しく見える。

13:55 毛利家墓所付近の石垣。


毛利家墓所付近。銀杏が鮮やか。

14:05 本丸まで350米。
落葉で足元が滑る。スニーカーでは少し辛い。

14:15 本丸跡着
萩の城山と似たような感覚。空気が凛とする。毛利由来の地には、他の場所とは異なる空気を感じる。もしや古の縁でもあるのだろうか。

二の丸、三の丸が下山。


展望台から見た町。

清神社の紅葉。

14:45 無事に下山。

来年のB-1グランプリはこれだ。寿司サンド 広島県安芸高田市

こら来たな。

THE 寿司サンド。


広島駅より路線バスで1時間30分。
安芸高田市役所前下車徒歩1分のスーパー(惣菜コーナー)

来年のB-1はもらった。じゃあの。

毛利元就公の像

戦国随一の知将。



辞世の句「友を得て なおぞうれしき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は」

月曜日は休館日 安芸高田歴史民俗資料館

10:30 サウナを出発
11:30 広島バスセンターから1時間半
13:00 安芸高田市役所前で下車

人通りもまばらな市役所前。
石垣どころか、お城の雰囲気がまるでない。

歩くこと5分超。安芸高田歴史民俗資料館に到着。

車もない人気もない。もしや… やってしまった。
休館日…ガーン。

広島まで新幹線で1時間
広島からバスで1時間30分
広島までバスで1時間30分
広島から新幹線で1時間



しばらく呆然と地図を見て、遠さを実感していた。

すると、隣の建物から人が出てきた。よく見ると、同じようなデザインの建物。
勇気を出して、中に入ってみた。

そして、大きな声で「百名城スタンプはありませんか?」と聞いてみた。
対応してくれたスタッフの方は始め「何のこと?」みたいな顔をしたが、ピント来たようで、
何やら、奥の人たちと相談を始めた。

何とななるかもと期待した。

しばらくして、スタッフの方はこう言った。
「市役所に引き上げています。しばらく待ってもらえれば用意できます」

感動した。願いは叶ったのだ。

ありがとう。安芸高田市スタッフの皆さま。
おかげさまで、スタンプゲットできました。

2012年11月18日日曜日

広島城

秋晴れの空の下、弾丸広島城攻めへ。

初めての広島駅。乗り継ぎの勝手がよくわからない。
新幹線の改札から、在来ホームに抜け、在来の改札を通り、
ようやくヒロデンの乗り場へ。



 乗り方がわからん。前払い?後払い?
どっちから乗るのか、どこ行きに乗るのか、どこで降りるのか。
押し寄せる人並みに焦る。またヒロデン来る。

たまらん。

リンリンというかジリンジリンが心地良い。150円。

紙屋町で下車。「かみやちょう」と呼ぶ。
そごうとバスセンターの周りをぐるぐる彷徨ったったあと、
ようやく城の門らしきものが見えてきて救われた。

広島城跡二の丸表御門

 石垣(礎石)は、戦前の写真を見る限り、姿を変えていない。
最初の建造は16世紀末。
打ち込みはぎの乱積み。算木積みが美しい。


御門を抜けた後の石垣は古い感じの野面積み。
表の礎石と違う。郡山から運んだものか。

 やっぱり微妙に石が違う。気になる。

   とりあえず天守閣。

 天守閣では、学芸員の方の講座を聞くことができた。
 テーマは広島城と堀だったか。

 内堀、外掘り、街道。
 築城する際に運河を利用したこと。
 ヒロデンを作るときに堀を埋めたこと。
 
 大変、興味深い話であった。

 天守閣で、公売の方が、「試し押しよう」と「次ページに写らない用」の紙片を下さったことが、印象に残った。

2012年10月6日土曜日

一球酒場@志木

東部東上線志木駅より徒歩5分。リーズナブルな本格中華料理屋さん。

隣のお客さんの注文した麻婆豆腐で目が染みた。
ちょっと食べてみたくなって注文してみた。
唐辛子じゃなくて、山椒と塩辛い。そして熱い。

でも病みつきになる。

香辛料で味付けしたラムも美味しかった。帰り際、なぜか中国系の料理人がドラを鳴らす。

焼酎のミヤキンってどこの?

2012年9月17日月曜日

根城 日本百名城(二十城目)

節目の20城目、青森県八戸市の根城。
三沢空港から格安レンタカーでの城攻め。

建武元年(1334年)に南部師行(なんぶもろゆき)により築城。
南部と聞くと、南部鉄器が連想され、盛岡をイメージするが、ここは八戸南部家である。
南部師行
天守閣があって、石垣があって、というような近代の城郭ではない。
要塞に近いことが復元模型からわかる。

木造なので、さぞかし火矢にはヒヤヒヤしたであろう。


観光政策により、屋敷跡や厩舎、堀の一部は、復元されたものだが、
自治体が買収するまで、ここは「りんご畑」だったらしい。

通称 りんご城

を提案したが、ガイドさんに鼻で笑われた。


この日のお天道様のおかげで、満足のいく写真が撮れた。自治体やボランティアの皆様に感謝。
避暑のために訪れた八戸。この日の気温計は36℃を差していた。

蕪島 八戸

八戸の太平洋岸を走行中に遭遇。
名前は島だが、旧日本軍により埋め立て工事が行われたため、今は「島」ではない。




 ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されており、その数は約3万羽。
空からの攻撃には警戒が必要である。

2012年6月14日木曜日

岡城 日本百名城(十九城目)

梅雨の合間を狙っての岡城攻め(大分県竹田市)

九州の百名城の中では珍しい山城。
このシルエットに胸が躍る。
 
岡城は1185年に頼朝に追われていた源義経を迎えるために緒方三郎惟英が築城したと伝えられている。近世城郭としての形が整えられたのは1594年の中川氏の入場以降である。

無料の駐車場に車を停め、受付で入場料を支払う。

右廻りで城を攻める。緑の深い道、ヒヨドリの鳴き声が心地よい。
大手門、桜の馬場を通過し、西中仕切りで良く見るこの風景。

反り
 
 
 反り
反りーーー

2012年1月21日土曜日

釜山鎮支城(プサンチンシジャン)

海外LCCに乗ってみたいチムジルバンを体験したい。
そんな理由で2泊3日の旅程で釜山へ。

福岡発のLCC。エアプサンに搭乗。機体はやや小ぶりのB737型。
シートの柔らかさは普通。座席はやや狭い。新聞はある。

そんな初LCCに浸るのも束の間、あっという間に対馬上空に到達。
そこからすぐに下降が始まり、釜山金海空港にランディング。
飛行時間は30分ほどだっただろうか。

市内まで移動し、ホテルにチェックイン。
期待できそうな天候はなかったが、ホテルの部屋から窓の外を眺めてみた。

釜山の窓から

モーテル=日本でいうラブホのことなのだろう。

ノレバン=直訳ではカラオケと習ったが、玄関に客引きがいる。カラオケスナック?はたまたデートクラブのようなものなのか。


その他は、日本でも馴染みのあるプルコギや、サムギョプサルなどのハングルの看板が立ち並ぶ。何となしそうゆうエリアであることがわかった。
(後日、ガイドさんに尋ねたら「大人のノレバン」と「普通のノレバン」があるとのこと。それ以上は「行ってみたら?」とあしらわれた。)
ところで、あの丘は何?
日本であれば、おおよそ古墳の雰囲気である。
マフラーと手袋を装着し、現場へと急行することとした。

5分ほど歩き、階段を登ると、かなり古い時代の石垣が見えた。
急いで作ったのか、耐震性能が悪そう。

釜山石垣


頂上はこんな感じの再建された建物がある。

このあたりで、何となくどの時代の物か想像がついた。
ホテルへの帰路。日本語の看板を見つけた。

この城跡は1593年の壬申倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)の時、日本軍が駐在するため毛利輝元が釜山鎮の支城として築城した日本式の城である。
とのこと。以前、訪問した名護屋城から出陣した武将が築城したと思うと、感慨深い気持ちになった。また、LCCのありがたさを痛感した。

今は、このエリア。地元のアジュマ(おばちゃん)達のウォーキングの場所として、
親しまれているようである。

おまけ。ジムの設備のような韓国風遊具。