細い峠をくねくねと走る。見晴しが悪く城の位置が確認できない。
とある交差点。赤信号で停車。巨大な建造物が視界に入る。
「名護屋城博物館」
似つかわしくない近代的な建造物。
秀吉公もあの世でびっくりであろう。
少し迷った後『現代の天守閣』に向かうことにした。
かなり立派な建物。どこかのコンサートホールのようだ。
展示品は原始からごく最近のものまで幅広い。韓国の伝統工芸のコーナーもある。
韓国からの観光客も来るのか、説明文にはハングルが併記されており、また慎重な表現も多い。
後半、日本語と韓国語の併記でこんなメッセージが掲示されてあった。
長い交流の中には、友好の時代も侵略という不幸な時代もありました。
私たちはその歴史を正しく認識して、お互いの文化と習慣を尊重しなければなりません。
そして、率直に語り合い、よりよい友好関係を築いていこうではありませんか
この一文には素直に共感できた。
賑やかな年配のグループが来た頃、静かに建物を後にした。
さて、いよいよ城攻め。
かなり立派な野面積みの石垣。
本丸の石垣の前を通り、三の丸へと向かう。
脚力を養うのにちょうど良い坂道。
途中、見晴しの良い展望所があった。
この視界一杯に、120もの陣屋があったらしい。
この城の麓は、多くの人が集まり大都市を形成していたらしい。
景勝、長政、家康、昌幸、正宗、etc…
みんな何を食べて、何を話してたんだろ?
400年前の天守閣が見てみたかった。
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