2016年12月24日土曜日

日野江城 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

雲仙温泉から山を下り、ドライブインのある展望所で地図を眺めていたら、
原城の近くに、別の城があることに気づいた。

と、いうことで寄り道することにした。

雲仙温泉から山を下り、海沿いの道を南下すること約40分。
標識が見えたのでここを右折。


しばらく進むと、セミナリヨ跡の碑があった。

晴信が洗礼を受けた1580年頃から1612年の岡本大八事件まで、
セミナリヨが存在した。

ちなみに、セミナリヨはセミナーやゼミナールと同意語である。



さらに進むと看板。生活道路なのだろうか。言う通りに迂回。


ぐるっと回る。方向的にこれが日野江城跡。


城主は有馬晴純(ありまはるずみ)1483年生~1566年没
南蛮貿易を独占して、1550年頃に有馬氏の最盛期を創出した。

当時の日本年表は以下のとおり
1467年 応仁の乱
1485年 山城の国一揆
1549年 キリスト教伝来
1566年 中濃攻略戦(織田信長と斉藤竜興の争い)

晴純はキリスト教を弾圧したとも、子の義貞に洗礼を勧めたとも言われている。

子の義貞の時代になると、大友家や龍造寺家との争いや家臣の造反により領地が縮小。
義貞は1576年にキリシタンの洗礼を受けた。弟は大村純忠。

1580年に子の晴信も洗礼を受け、豊富秀吉の禁教令の後もキリシタンを保護した。
1612年岡本大八事件で、改易、追放された後、領地で急激なキリスト教の弾圧が始まり、
それが島原の乱に繋がったとも言われている。

有馬家は、日向延岡藩に移ったあと、越後藩主、越前藩主として明治維新を迎えた。

この後、地図にある駐車場に向かったのだが、道に迷ってしまい、西田平キリシタン墓碑に出てしまった。

この時点で時間切れ、マップを手にリベンジしたい。
日野江城の周辺散策マップ等

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