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2017年1月1日日曜日

島ログ(73/418)

海洋法に関する国際連合条約では、「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう」と規定。

平成27年の国交省の資料によれば、
日本の有人島数は418島、無人島数6430島である。

島(を数える上での)の定義(昭和62年海上保安庁発表)

1. 周囲が0.1km以上のもの

2.何らかの形で本土とつながっている島について、それが橋、防波堤のように細長い構造物でつながっている場合は島とし、それより広くつながっていて本土と一体化しているようなものは除外

3.埋立地は除外


以下『上陸した島』

〇北海道 4
礼文島・利尻島・天売島・焼尻島

〇関東 1
八丈島

〇中国 15
宮島・見島・長門大島・青梅島・角島・蓋井島・六連島・彦島・竹の子島・巌流島・向島・野島・大津島・粭島・笠戸島

〇九州 28
軽子島・津村島・藍島・馬島・筑前大島・筑前相島・地ノ島・沖ノ島・志賀島・小呂島・玄海島・壱岐島・小川島・加唐島・馬渡島・生月島・平戸島・対馬島・大矢野島・天草上島・天草下島・豊後姫島・青島・日向大島・築島・幸島・獅子島・桜島

〇奄美群島 3
奄美大島・加計呂麻島・与論島

〇沖縄諸島 10
瀬長島・奥武島(南部)・平安座島・宮城島・伊計島・瀬底島・奥武島(北部)・屋我地島・古宇利島・久高島

〇宮古列島 3
宮古島・池間島・来間島

〇八重山列島 9
石垣島・竹富島・小浜島・鳩間島・新城島・西表島・波照間島・黒島・与那国島

コメント欄は『気になる島』の記録などに使用

・テレビで見た島
・人から聞いた島
・何か気になる島
・自然豊かな島
・歴史のある島
・離島振興に熱心な島
・何もない島
・海外の島

2016年11月20日日曜日

巌流島 武蔵・小次郎決闘の地



北九州市門司区風師山から撮影

20年前頃、三菱重工業が所有していると聞いていたが、
現在、大部分が下関市に譲渡されているとのこと。

正式名称は船島。所在地は、下関市大字彦島船島である。

巌流島連絡船で、下関、門司港の双方から島に渡ることができる。
往復800円。島を経由して対岸で下船する場合も800円である。
関門汽船HP・巌流島連絡船

島の北側は三菱重工業下関造船所。陸地のさらに奥は日本海。






















2012年9月17日月曜日

蕪島 八戸

八戸の太平洋岸を走行中に遭遇。
名前は島だが、旧日本軍により埋め立て工事が行われたため、今は「島」ではない。




 ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されており、その数は約3万羽。
空からの攻撃には警戒が必要である。

2010年5月3日月曜日

大島 萩六島

見島に行こうと思って港に行ったら
知り合いがおったので別の船に乗った

観光客は一人だけ。半日ふらふら。

             鳥の声と風の音が気持ち良かった。



2010年3月22日月曜日

イリオモテと雨

美崎町のゲラゲラを出発し、離島ターミナルへ。「ヤエカン」で往復乗船券をGET。
波高2.5m波跳ねる高速船で上原港へ向かう。この衝撃が懐かしい。

初めての八重山一人旅(2005年)以来の上原港。
ターミナル以外はあまり変わってない気がした。

急遽、手配した宿の玄関に着いたが人の気配が無い。
どこの離島もこんなもん…と思いながら庭先の蝶々(タテハモドキ)と戯れる。

ふと電柱を見上げると天然記念物のカンムリワシ!?こんな離島は他にない。

しばらくすると宿主が登場。開口一番『カヤックやってみる?』と…
何となく予想してたこともあり『はい』と即答。初のカヤック体験へ。

浅瀬から川の中心へと漕ぎ進む。何となく景色が大きく見える。
漕ぐのに必死で写真を撮る余裕がなかった。

脇の小さな川に入り、静寂の空間へ…
漕ぐのを止めると、鳥の鳴き声…

フギャー!!!フギャー!!!
ヒィィィィ!!!ヒィィィィ!!!
ウゲェー!!!ウゲェー!!!

ヒヨドリの鳴き声…決して癒しではないと思うのはオレだけか?w

前から修学旅行の女子高生が十数名。
元気の良い『こんにちわ』がこだまする。
勿論、最高のスマイルで全員に応えた。

かなり癒された。

良い印象で初のカヤック体験を終え(?)、翌日に備え、野菜サラダをもりもり食べて眠りについた眠い(睡眠)

翌朝…嫌な予感で目が覚める…

風がヒューヒュー
雨がバチバチ
波がゴーゴー

まさか…またか…

雨+突風+高波w

暗い一人部屋での引きこもり確定w

初めてのイリオモテ上陸の際も、バケツをひっくり返したような雨だった。
鳩間島から上原港に脱出後、行くあても無く、川満スーパーで立ち尽くした。
寒さと空腹に耐えかねて、入った「そば屋」で、野菜ソーキそばをすすった。
心の底から美味いと思った。※後にそこが新八食堂であることを知る。

生まれたての子羊のようにブルブル震えるびしょ濡れの小僧に同情したのか、
店のねえねえが大原港まで送ってくれた。本当にありがたかった。
その後、石垣の拠点となる伝説の宿に飛び込み、島巡りに没頭し、今に至る。

雨脚の弱まった昼過ぎに新八食堂に行き、野菜ソーキそばを食べた。
少し味の濃いめの普通のソバだった。

翌日、晴れ間が覗く空の下、大原港からイリオモテを離れた。

帰りの船の中で誰かが言ってた言葉を思い出した。

『止まない雨はない。晴れない空はない。』

2010年3月8日月曜日

ヌスクマーペ@石垣島

例年、梅雨明け後の空と海を求めて6月に渡島した。到着時の気温は28℃。
石垣到着後は「やらぶ食堂」で体を慣らし、涼しくなってから美崎町へ出陣した。

翌日は、石垣島北部の野底岳へ。島ではヌスクマーペと呼ばれる。
悲しい恋の伝説のある山だ。

OTSでコガネムシ色のレンタカーを借りて、399号を通って登山口へ向かった。

登山口は分かりづらかったが見つかった。
人一人が、ようやく通れる道を進む。鋭利な草が腕と足首にあたって痛い。
半袖半ズボンで来たのは失敗だった。

少し進むと、草のエリアから木のエリアに到着。少し歩き易くなる。
視線の先にはジャノメ蝶のカップルがヒラヒラ舞う。

足場は赤い土。「雨が降るとやっかい」と思いながら地元山岳会が設置してくれたロープを辿り頂上へ向かった。

強風と鳥の鳴き声を感じることができた。

雨が降り出した。赤土はつるつる。お約束通りのすってんころりん。


2009年9月21日月曜日

星と桃@ウルトラ礼文

◇9月11日曇り
AM 5:30 起床
一人静かに寝どこを後にした。

AM6:50 稚内港発 香深行 2500円
フォト
ハートランドフェリー
http://www.heartlandferry.jp/

礼文の北の『荘』と南の『荘』の噂は旅の途中で聞いていた。
空室確認のため北の『荘』に電話した。

蜂『今日、泊まれますか?』
宿『今日は…シャケとかで忙しくて…夕食がなくて良ければ泊まれますけど…』

蜂「え?何?鮭?」
 「泊めて下さい」

とゆうわけで…北の『荘』に宿泊決定。さっそく鮭の仕入れに同行。
宿主も、いいネタができたと喜んでいました。

自身も、いいネタができたと喜んでいます。
23:00 就寝眠い(睡眠)

◇9月12日晴れのち曇り
リピーター方々のアドバイスもあって、4時間10kmのコースを歩くことにした。
愛とロマンの8時間コースは次の機会に…ということで?

波照間Tシャツのリピーター客を見送った後、アザラシの浮かぶ浜中地区から歩き始める。

アスファルトの歩道の無い道を大型バスやトラックに轢かれそうになりながら歩く。

ZARDの『負けないで』を口ずさみながら、山を二つ越えた。
ゴロタ岬からは渡辺真知子『かもめが翔んだ日』に変わった。

花の季節で天気が良かったら…などと思ったりしたけど、意味がないのでやめた。

この日は南の『荘』にシフト

『オーイ!モーモ・イワソー!』

港ではフラッグを持った若者達が何度も船に向かって叫んでいる。

ブルーサンダーゴーエース、モモイワジカン、知性・教養・羞恥心を捨てるトンネル、ベンジョハウス、トオイセカイニetc…

一通りの儀式と説明を終えた後、宿に到着。扉を開けると…

『オッカエンナサーイexclamationexclamationexclamation』

その後の記憶はないww

22:00 就寝眠い(睡眠)

◇9月13日晴れ
AM 6:30 起床
便所ハウスでコーヒーを飲む。何だかすっきりした。

宿から港までは爽快チャリング自転車
AM9:55 香深港発 鴛泊行 930円

明日の~世界を~ さがしに~ いこうか~

出港後、南の荘ヘルパーの方々の真剣な眼差しの記憶が鮮明に残っていた。

いってきます。またくるよ。

2009年9月1日火曜日

一膳飯屋 眉倶楽部 利尻島

礼文島から利尻島に渡った。

安そうな宿を探そうと歩いていたところ、見た目が何となく気になるお店のような建物があった。

「ここが旅の途中に、噂で聞いたマユクラブか!?」

着いたのは昼頃だったが、待っても待っても誰も来ない。
店頭にあった不在時の連絡先に電話をしたら店内で携帯が鳴っている。

しばらく島時間を堪能し、2時間後くらいにマスターが現れた。

何も調べずに利尻に来たことを伝えたら、その日の食べるもの、食べる時間、観光の仕方、泊まるとこ、全てを決めらた。

親切というか、マイペースというか、人間味が豊かというか…

食事は、刺身、ホッケの煮物、豆腐、さんまなどヘルシー系のたっぷり系。
ごはんは大盛りで出てきます。半分食べると、おかわりは?と聞きながらついでくれます。

店の名前「眉倶楽部」の由来。さわりだけ店内に掲示されていた。
深い想いがあるんだろうなーっと思いながらも、聞けないまま店を後にした。

行きたいと思うけど、距離的になかなか行けない。
そこに眉倶楽部があったこと、出会えたことに感謝します。

2009年2月22日日曜日

黒島とナメック星

『島にいこう揺れるハート』

月曜日に神のお告げがありましたw

とゆうことで昨日から石垣島に来ています。

2月の八重山は『寒いぬるい』感じです。

準備段階で新しい発見がいくつかありました。

110日前ルール
パックツアー(飛行機代+一泊タイプ)は10日前までしか申し込みできない。

2マイル緊急補充は不可
今回20マイル不足w

3株主優待
緊急時における株主優待の必要性。

危機管理が足りない?裏技をご存じな方はこっそり教えて下さい。

今日は黒島の牛祭りに来ましたが異常な人の多さに宮里海岸に避難していますw

天気がいまいちなのが残念ですがナメック星とちがってフリーザがいないだけマシなようです。

恒例の牛の当たる抽選会まであと一時間。気の遠くなる道のりを歩いて会場に戻ります。

当たれば美崎町で超サイヤ人と化す予定です。

2008年12月21日日曜日

どしゃぶりの雨。
すえひろ荘からは女将さんに記念館近くまで送って頂いた。
春であれば、桜が綺麗であろう階段を上り、回天記念館へ。

島に似つかわしくない立派な施設に入ると、
受付の方が、優しく声を掛けて下さった。
どうやら荷物を預かって下さるみたいだ。

言葉に甘え、ゆっくりと館内を回る。
戦争は、忘れてはならないことだとわかってはいるが、、忘れたくなるような展示物もあった。
心に蓋をして、何も感じないように、ただ文字として、絵として理解した。

記念館を後にした。
受付の方がカッパの代わりに大きなゴミ袋をくれた。嬉しかった。
帰り道。休憩所に立ち寄った。
何も言わずに老女がお茶を出してくれた。美味しかった。

気さくな老人が、話しかけてくれた。
幕末の話、東郷平八郎の話、レイテ海戦、ハンドボールの話、そして昔の仲間の話。
色々な話を、楽しそうに話してくれた。

気が付けば、船の時間はとっくに過ぎていた。
雨が止み、港に向った。

咲いた桜を見ながら茶を飲みたい。そう思いながら島を後にし、さらに東へと向かった 。

2008年12月20日土曜日

野島@瀬戸内最西端

我慢の限界。

車にチャリと寝袋を搭載し出撃。方位『東』
山陽道を1時間。三田尻港(山口県防府市)に到着。

三田尻には全女バレーのエース栗原恵を輩出した三田尻女子高があるらしい(道を尋ねたおじさん談)

燃える島魂

片道750円の運賃(生活航路にしては高い気が…)を支払い、
イケメン高速船『ニューのしま』に乗船。

上陸地はそのまんま『野島(のしま)』


瀬戸内海国立公園の最西に位置する野島は鳶の鳴き声が響く漁業の島。
夏場は海水浴やキャンプで賑わうこの島も、この時期は釣り客とお墓参りの訪問者だけ。


何が釣れるのやら?と釣人の様子を伺いながら海を覗くとスズメダイの大群…『釣れてますか?』と質問するのをやめて静かに堤防を離れた。


※スズメダイ=一般的に餌とり・ザコなどと言われ釣人の敵。途中で二つに別れる尾ビレが特徴。福岡の郷土料理『あぶってかも』はスズメダイを焼いたもの。


注.帰りの船で良型のアジとカレイを釣りあげた方に会いました。

帰る間際、島の特産品でも…と思い商店に立ち寄ったのに店主不在で断念。
開けっ放しはどこの島も同じかと妙に納得し島を後にした。

すえひろ荘@大津島

暗闇の徳山港、その日最後の渡船に飛び乗った。

大島に、港が複数あるらしい。
慌てて、民宿の女将さんに確認。
言われるがままに、船を降りた。

聞こえるのは、冷たい霧雨と波の音だけ。
名前を呼ぶ声が聞こえた。

すえひろ荘の女将さんだった。
港から5分くらいで宿に着いた。

宿に入ると、古いストーブ。
以前、ご夫婦で石を切り出す仕事をしてたらしくお風呂は大理石。
部屋には、旅人が想い出を書き記したノートがあった。

食事は、地元の食材を使ったボリュームタップリの海の幸。
一部の食材は、徳山まで買い出しに行ってくれたみたいだ。

明日は雨か。大理石の風呂に、腹いっぱいの海の幸。
少し大きめの波の音を聞きながら今日は眠るとしよう。

2008年12月10日水曜日

回天の島 大津島

着いたのは日没後だった。二件ある民宿のうち安い方を直前に予約した。

寒い時期の日没後。何しに来たのと聞かれたので、
胸をはって『島マニア』です。と答えると、女将はキョトン顔になった。

船着き場(港がいくつかある)から左手に5分ほどだっただろうか。
港には民宿の女将さんが迎えに来てくれていた。

当日は、たくさんの海の幸と、御影石の風呂を満喫し、波の音を聞きながら眠りについた。

$旅りーまんブログ-Course Up--宿@大津島

名前を忘れた宿。一泊5500円/一人個室

翌朝、天気はあいにくの雨。
外に出ると、瀬戸内らしい小さな堤防とそのつけねに小さな浜があった。

宿と浜と堤防の位置関係が魅力的である。
来る季節を間違えた。

雨が小降りになった。
女将が回天記念館近くの港まで送ってくれた。

記念館は、港そばの高台にある。
春であれば、桜が綺麗であろう幅の広めの階段を登る。

回天記念館を見学。
受付の方、びしょ濡れ姿を見て、カッパ代わりのゴミ袋をくれた。

帰り道。中腹にある休憩所によると、老女がお茶を出してくれた。

お爺さんが『灯油がぁ#$%&!』とつぶやきながら、前に座った。
どこから来たのか?一人か?と、一通りの質問を受けた後、昔の話を始めた。

昔、海軍にいた話。
歴史に出てくる有名な指揮官に帯同した話。
さらにその指揮官が若い頃に仕えた話。
なぜかスポーツの話。
回天記念館の話。

話が3周目に入った時、船に乗り遅れたことに気付いた。

2008年6月19日木曜日

パナリ

八重山離島巡りを始めて約7年。旅の最終目的地パナリ(新城島)に上陸。

島には、観光施設は勿論、金融機関、郵便局も無い。
あるのは森と無人の家。

集落には30戸ほどの家屋が存在するが、実際に住んでいるのは5、6名。
宿泊当日は観光客を含み10名程度の滞在であった。

集落の外には御嶽(聖域)や神社が点在しているがそのほとんどが立ち入り禁止となっている。(独特の空気を感じたので近寄る気にならなかった)

島では唯一の民宿にお世話になった。
民宿があることすら驚きであった。

ただしここは離島…

蚊、蠅、蛾、蟻、ゴキ、ヤモリ、ねずみ、猫 との共存は必須だ。

日帰りツアーの観光客が島を離れ日が暮れると島の雰囲気は大きく変わる。

静寂の中ヤドカリの足音、ヤモリの鳴き声が響く。

情報や携帯は一切無い。こんな静かな島は久しぶり。

八重山巡り…完?

(浜島、バラス、カヤマ、下地行ってないやんww)

2003年12月29日月曜日

小浜島への旅 2003年

ある日、航空会社勤務の友人からパンフレットを渡された。

当時のマイマップは、福岡が中心にあって、右に大阪と東京があって、九州の下には沖縄本島しかなかった(笑)

だからか、沖縄本島のはるか下

「南の楽園、小浜島ですごす〇泊〇日の旅」

にものすごく惹かれた。

石垣島空港に到着。
空港から小浜島までの移動は、自分で手配しなければならなかった。
当時はインターネットが普及しておらず、頼りは旅行会社から渡された行程表のみである。

港までと伝えてタクシーに乗車。
しばらく走って、何度か信号を曲がったところ。メーターは2000円くらいだったか、あのイントネーションでこう持ち掛けられた。

「石垣は初めて?」「島を一周してあげるよ」「若いから1万円でいいよ」

港までの距離感はない。レンタカーの相場も知らない。
安いか高いかよくわからなかったが、午後まで暇だったので、少し値切って手を打った。

今となっては、川平湾に行った記憶しかないが、
観光タクシーとしては、ガイド付き、写真撮影付で格安だったと思う。
ちなみにデジカメなどはまだ普及してない、マイカメラはフジの写ルンですだった。

離島桟橋に到着。
当時の離島桟橋はターミナルの東側、中村つりぐの方にあった。

小浜島に到着。
港まではホテルのスタッフが迎えに来ていた。

スタッフからは、
この島にはホテルは2件あること、宿泊先のホテルはプレオープン中でゴルフ場を造成中であること、ホテルの敷地内にクジャクがいるので気を付けること、あと、ちゅらさんのことなどを聞いた。

夕食はグルクンの唐揚げだった。

滞在中は、頑張ってのんびりしようとした。が、すぐに飽きて、散歩に出かけた。

シュガーロード、こはぐら荘、大岳展望台。店舗の名前は忘れたが集落でカレーを食べた。物静かな店だった。

午後からは海人体験コース。
島の端っこの港から漁船に乗って素潜り漁をするという有料サービスだった。

案内は、肌の浅黒い口数の少ない男性。たぶん、本物の漁師。

沖に出てアンカーを打つ。
漁師が海を指さし「(獲物)いるよ」と言う。が、何も見えない。

ここらの貝は、サンゴ色している。
漁師は、大きな貝を採って、船上で調理して食べさせてくれた。

この経験は、後のリーフエッジシュノーケリングに繋がった。

小浜島にはこの時以来訪問していない。
写真も無い、ネガも無い。記録だけここに。