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2017年2月19日日曜日

英賀城(あがじょう)播磨三大城 兵庫6+1の城巡り

兵庫6+1の城巡りも残すはあと二城。
英賀城は、赤松氏が築城、その後、三木氏が治めた城である。

姫路駅から山陽電鉄に乗車。JRの姫路駅から少し歩く。

一度、途中で乗り換えて、11時20分頃、西飾磨駅に到着。無人駅か。

駅前には丁寧な看板が設置されていた。

だいたい、JRの英賀駅の方向に進んでいく。
この橋を渡れば、昔で言うところの城下町だろうか。

そのまま直進すると、5分ほどで石碑を発見。
この左奥側が、本丸だったようだ。今は、住宅しかない。

昔は用水路だった、本丸方面の道。

さて、土塁があると言うので、道を渡って土塁跡に向かう。
言われて初めて気づくほどの土塁はあったのですが、墓所でしたので撮影は控えました。

土塁に平行に流れる水路。意外に水が綺麗でした。

余談ですが、セブンイレブンがオープンしていました。
こんなの碑もありました。

今は、大きな交差点。ご先祖様もびっくりでしょう。

12時10分JR英賀着

こうゆう、城巡りも好きです。

2017年2月18日土曜日

御着城 播磨三大城 兵庫6+1の城巡り

大河ドラマ官兵衛で憧れていた摂津、丹波、播磨(兵庫6城+京都1城)の城を巡る旅。

鶴ちゃんが演じていた、小寺家の居城に向かう。

「OK GOOGLE! 経路 明石城から御着城」

高速不使用で1時間。35キロとのこと。

17時 明石城発

広大な平野の中、R2を西に進む。
渋滞で変なハイテンション。加古川市の加古川で盛り上がる。

残り5キロで、旧道に入る。
しばらくすると、「官兵衛の御着城」の看板が見えた。

どこだどこだ。住宅地の中で迷う。

旧道に戻る。あった。

この場所は、御着城跡公園として整備されていた。

明るければ、周囲を散策して、城の痕跡などを探す気にもなったが、レンタカーの返却時間も迫っていたので、トイレをお借りしてから、この場を発った。

官兵衛も同じ場所で小便をしてたと思うと体が震えた。

兵庫4/6城目 完

三木城 播磨三大城 兵庫6+1の城巡り

大河ドラマ官兵衛で憧れていた摂津、丹波、播磨(兵庫6城+京都1城)の城を巡る旅。

福知山城を13時頃発。
途中、六人部PAで蕎麦をすすった後、播磨三大城の三木城を目指した。
ナビで三木城を検索するもヒットしなかったので、とりあえず駅に向かった。

駅の手前、市役所やグラウンドがある付近で道に迷う。
文化会館の方に行ったり、総合公園の方に行ったりしたが、本丸は見当たらない。

もう一度、駅を中心に方角を探り、細い道を進んで、
15時、何とか三木城跡に到着。

1578年5月 三木合戦 開戦 

途中、豊臣秀吉の本陣跡の看板をみつけたが、特定できなかった。

荒木村重が、秀吉の右後方に配置。
この後、1578年10月に離反する。有岡城の戦い。

1579年6月 竹中半兵衛 死去

ボランティアの方から、竹中半兵衛のお墓に纏わる逸話を伺った。

「包囲中の三木城に兵糧を運び込む輩を捕まえたら坊主であった。報告を受けた織田信長は怒り、寺を燃やした。半兵衛の墓はその寺にあり焼失、行方不明になった。今ある墓は、再建したもの」とのこと。

1580年1月 開城

今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命に代はる 我が身と思えば
別所長治 辞世の句

兵庫2/6完。

転用石 福知山城 明智光秀の居城 京都府福知山市 兵庫6+1の城巡り

近頃、なぜか明智光秀という武将に惹かれる。
そんな理由で、小雨が散らつくなか福知山城まで車を走らせることにした。

篠山を11時40分頃に出発。
迷ったが予定が詰まっていたのでハイウエイを利用した。
県境を超えて京都府に入る。

12時30分 福知山城着

無料の駐車場に車を停めて城を登る。

野面積み。案内には乱石積みとも書いてあった。

復元天守閣。


ここの石垣には五輪塔や石仏などの石造物が転用されているらしい。
他の城の石を使った城などは聞いたことがあるがこのタイプは珍しい。

三か所に加工された石が見える。

ここにも。
字のようなものも見えるが漢字じゃないので読めない。

なかなか面白いものが見れました。
プラス1完。

2016年12月24日土曜日

原城 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

かねてより、島原城に行くのであれば、原城にもと思っていた。
日野江城から車ですぐのところに原城はあった。

通りから左に曲がったところ。
国史跡指定昭和13年5月30日文部省と書いてある。

三の丸、二の丸を左に見ながら本丸跡に到着。
ここは風の通り道のようで、当日は清々しい風が吹いていた。

非戦闘員が隠れていたという空濠。

大手門付近

島原の乱の後、城は破壊された。

埋門跡

南側の土手

土手か見える石群。
配列には何か意味があるのだろうか。


手前が二の丸、左奥が三の丸。奥の山は雲仙。

1612年岡本大八事件で、キリシタン大名の有馬晴信が斬首される。
有馬氏が転封となり、松倉重政が島原藩を治めることになる。

松倉重正は、江戸城の改築や島原城の新築のため年貢の取り立てを強め、
また、キリシタンの弾圧もおこなった。

島原の乱は、キリシタンのみによる反乱ではなく、実際は有馬、小西に仕えた浪人や土着の領主も戦闘に加わっており、宗教戦争とは違う一面もあったことを今回の訪問で知った。

池尻口門跡

時の止まったように静かな場所。独特の空気を感じる。

たんぽぽ

痛ましき 原の古城に来て見れば
ひともと咲けり 白百合の花
新村 出

日野江城 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

雲仙温泉から山を下り、ドライブインのある展望所で地図を眺めていたら、
原城の近くに、別の城があることに気づいた。

と、いうことで寄り道することにした。

雲仙温泉から山を下り、海沿いの道を南下すること約40分。
標識が見えたのでここを右折。


しばらく進むと、セミナリヨ跡の碑があった。

晴信が洗礼を受けた1580年頃から1612年の岡本大八事件まで、
セミナリヨが存在した。

ちなみに、セミナリヨはセミナーやゼミナールと同意語である。



さらに進むと看板。生活道路なのだろうか。言う通りに迂回。


ぐるっと回る。方向的にこれが日野江城跡。


城主は有馬晴純(ありまはるずみ)1483年生~1566年没
南蛮貿易を独占して、1550年頃に有馬氏の最盛期を創出した。

当時の日本年表は以下のとおり
1467年 応仁の乱
1485年 山城の国一揆
1549年 キリスト教伝来
1566年 中濃攻略戦(織田信長と斉藤竜興の争い)

晴純はキリスト教を弾圧したとも、子の義貞に洗礼を勧めたとも言われている。

子の義貞の時代になると、大友家や龍造寺家との争いや家臣の造反により領地が縮小。
義貞は1576年にキリシタンの洗礼を受けた。弟は大村純忠。

1580年に子の晴信も洗礼を受け、豊富秀吉の禁教令の後もキリシタンを保護した。
1612年岡本大八事件で、改易、追放された後、領地で急激なキリスト教の弾圧が始まり、
それが島原の乱に繋がったとも言われている。

有馬家は、日向延岡藩に移ったあと、越後藩主、越前藩主として明治維新を迎えた。

この後、地図にある駐車場に向かったのだが、道に迷ってしまい、西田平キリシタン墓碑に出てしまった。

この時点で時間切れ、マップを手にリベンジしたい。
日野江城の周辺散策マップ等

2016年11月13日日曜日

磐城平城(いわきたいらじょう) 福島県いわき市

福島三城攻めを前に、いわき駅前でウォーミングアップ。




















二階建ての駅舎。まだ新しい感じがする。

この駅舎の左側を眺めると、城。
磐城平城と言うらしい。しかし、何かが違う。




















立体感がないぞ。


経緯
・いわき市誕生50年を記念して地元の団体と市が設置した。
・大学生と高校生10名が2週間かけてペンキを塗った。
・城は2017年3月まで設置予定

情報元記事
http://www.asahi.com/articles/ASJ9Q5QVQJ9QUGTB00C.html

堀、石垣、土塁も立地や城下町、歴史的背景などなど見どころは多い。
確かに天守閣や櫓は恰好がいいが、城の魅力はそれだけじゃない。

今、磐城平城には、石垣、土塁、水堀が残っている。

関ケ原の後は、伊達監視の役割
戊辰戦争では奥羽列藩同盟側として奮闘
そして三階建て櫓の焼失

なかなか興味深い。

それにしても、台風対策の土台に一千万継ぎこんだらしい。
その土台を一目拝みたかった。

2016年10月30日日曜日

島ごと削られた城 筑前若松城 (別名、中の島) 北九州市

その昔、洞海湾内に城があったと聞き、
石垣とか島とかが残ってないだろうか。と、いうことで現地へ向かった。

戸畑側の岸壁に到着

どこを見渡してもそれらしきものはない。少し歩いてみる。

海の中はたくさんの小魚が泳いでいる。サヨリか。
イカの墨跡もちょぼちょぼ。

橋の下でサビキ釣りをしている人がいる。

若松城は、黒田長政の筑前統治時代に築かれた城と言われている。
豊前との国境は戸畑側の境川と聞いたことがある。

芦屋・山鹿のお殿様が若松城の城主だったとか。

お城があったであろう橋の下

海の中の島で、別名、中の島。
1940年、島ごと削りとらてしまって消え去ったとのこと。

せっかくなので、あれを城跡とみなそう。

2012年1月21日土曜日

釜山鎮支城(プサンチンシジャン)

海外LCCに乗ってみたいチムジルバンを体験したい。
そんな理由で2泊3日の旅程で釜山へ。

福岡発のLCC。エアプサンに搭乗。機体はやや小ぶりのB737型。
シートの柔らかさは普通。座席はやや狭い。新聞はある。

そんな初LCCに浸るのも束の間、あっという間に対馬上空に到達。
そこからすぐに下降が始まり、釜山金海空港にランディング。
飛行時間は30分ほどだっただろうか。

市内まで移動し、ホテルにチェックイン。
期待できそうな天候はなかったが、ホテルの部屋から窓の外を眺めてみた。

釜山の窓から

モーテル=日本でいうラブホのことなのだろう。

ノレバン=直訳ではカラオケと習ったが、玄関に客引きがいる。カラオケスナック?はたまたデートクラブのようなものなのか。


その他は、日本でも馴染みのあるプルコギや、サムギョプサルなどのハングルの看板が立ち並ぶ。何となしそうゆうエリアであることがわかった。
(後日、ガイドさんに尋ねたら「大人のノレバン」と「普通のノレバン」があるとのこと。それ以上は「行ってみたら?」とあしらわれた。)
ところで、あの丘は何?
日本であれば、おおよそ古墳の雰囲気である。
マフラーと手袋を装着し、現場へと急行することとした。

5分ほど歩き、階段を登ると、かなり古い時代の石垣が見えた。
急いで作ったのか、耐震性能が悪そう。

釜山石垣


頂上はこんな感じの再建された建物がある。

このあたりで、何となくどの時代の物か想像がついた。
ホテルへの帰路。日本語の看板を見つけた。

この城跡は1593年の壬申倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)の時、日本軍が駐在するため毛利輝元が釜山鎮の支城として築城した日本式の城である。
とのこと。以前、訪問した名護屋城から出陣した武将が築城したと思うと、感慨深い気持ちになった。また、LCCのありがたさを痛感した。

今は、このエリア。地元のアジュマ(おばちゃん)達のウォーキングの場所として、
親しまれているようである。

おまけ。ジムの設備のような韓国風遊具。